「海外に行って学んでみたい」――そんな漠然とした気持ちから始まった私の挑戦。
けれど、最初から完璧なプランなんてありませんでした。
この記事では、私が トビタテ!留学JAPAN に応募したときのリサーチや悩み、準備過程、そして実際の体験を振り返ります。これから応募を考えている方の参考になれば嬉しいです。
目次
最初のリサーチと悩み
私が一番最初にやったことは、トビタテ!留学JAPANの制度を理解することでした。
自由度が高い一方で、「全部自分で決めなきゃいけない」というプレッシャーも大きかったです。
だからこそ、
- どんな留学が“トビタテらしい”のか?
- 制度の背景や理念は何か?
を意識して、合格体験記を読んだり、説明会の動画を視聴したりしながら、基盤をつくっていきました。
しかし、一番の課題は 「自分が何をしたいのか明確にできていなかったこと」。
「アメリカに行きたい」という気持ちは強くても、それをどう形にするかは全く見えていませんでした。
とりあえずネットで
「アスレチックトレーナー」「リハビリ」「アメリカ 大学 見学」
などのワードで検索し、ひたすら情報を集めて、“なんとなく”を“言葉”にしていく作業から始まりました。
アドバイス(これから挑戦する人へ)
- 最初から全部決まってなくてOK
→ 最初は「何となく海外に行きたい」くらいの気持ちで大丈夫。リサーチを重ねて言葉にしていけば形になります。 - まずは制度の理解から
→ 「自由=責任」。だからこそ、制度の背景や理念を知ることで、自分の方向性も自然と見えてきます。 - 面接では“想い”と“具体性”のバランスを意識
→ 熱意だけでも、事実だけでも足りません。
- なぜその留学をしたいのか
- どこで、誰から、何を学びたいのか
- それが自分や社会にどうつながるのか
をストーリーとして語れると強いです。
タイムライン(私の場合)
時期 | やったこと |
---|---|
大学1年 5〜6月 | トビタテの存在を知り、情報収集開始 |
秋(10〜11月) | 留学プランのリサーチ・書類作成 |
12月 | 一次審査(書類選考)結果通知 |
1月 | 東京にて二次審査(面接) |
2月中旬 | 合格通知 |
春〜夏 | 渡航準備を進めるが、コロナで延期決定 |
翌年夏 | 1年越しにアメリカ渡航を実現 |
準備過程(工夫したこと)
リサーチ
- 医療とスポーツの架け橋になりたい
- 日本にまだない現場を自分の目で見たい
- 将来ATになるために必要な経験をしたい
こんな想いを形にするために、毎日ネットで検索を続けました。
書類準備
- 現時点で何がわかっていて、何を探しているのか を正直に書いた
- 高校中退・再受験の経歴も隠さずに背景を説明
- 「日本でATを広めたい」「そのためにアメリカの現場を見たい」という想いを具体的に記載
留学先・プランの選定
- 大学HP、スポーツメディスン団体、現地施設へメールで問い合わせ
- 「どこで学べるか?」「病院見学は可能か?」をリスト化し逆算
面接準備
- 面接官が知らないATの背景を噛み砕いて説明
- 質問の意図を考えて答える練習
- 「行ってどうなるか」「帰ってどう活かすか」を具体的に話せるようにした
留学の実体験
1年間の延期を経て渡米したときには、以前よりも強い覚悟を持っていました。
- 大学・病院・トレーニング施設を訪問
- ATという職業をリアルに体験
- 言葉の壁、文化の違い、予定変更…数々の苦労
それでも「来てよかった」と思える瞬間が何度もありました。
そして「やっぱりアメリカで学びたい」という気持ちが確信に変わり、帰国後は大学院進学を本気で目指すようになりました。
今振り返って思うこと
私は高校中退や受験失敗など、何度も夢を諦めそうになった経験があります。
でも結局大事だったのは 「完璧な計画」ではなく「動き出す勇気」 でした。
まだ留学先が決まっていなくても、経験が足りないと感じても大丈夫。
まずは一歩を踏み出してください。動けば必ず何かが見えてきます。
まとめ
- トビタテは「自由=責任」の制度
- 最初から完璧なプランは不要
- 熱意と具体性の両方が大切
- 動き出せば必ず道は開ける
私自身、この経験がなければ今アメリカの大学院で学んでいることもなかったと思います。
もし挑戦しようか迷っている方がいたら、「動けば変わる」 ということをぜひ信じてほしいです。
No responses yet